安倍晴明〜謎多き伝説の陰陽師〜

平安

安倍晴明。

陰陽師と聞いて一番最初に思い浮かぶのが彼だろう。

陰陽師として平安を生きた安倍晴明とはどのような人物だったのだろうか。

陰陽師とは

陰陽師とは、平安時代の日本の中務省の陰陽寮に属した職業の一つだった。

陰陽師の「陰陽」という言葉は中国から伝来した「陰陽五行説」が日本で独自に発達した

「陰陽道」からきている。

陰陽道とは陰陽五行説の思想を用いて占いや呪術を使って除災や厄払いをする技術体型である。

陰陽師はこの陰陽道によって朝廷から依頼された除災や厄払いなどを主な仕事をとしていた。

平安時代では占いを用いて国の方針を決めることも多かったので陰陽師は重用されることも多かった。

そんな陰陽師の中で頭角を現していたのが安倍晴明だ。


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謎多き出自

安倍晴明出自については謎な部分が多く、系譜が明らかになっていないため様々な説が存在する。

その中には妖狐の葛の葉が母という説もある。

天皇や貴族の信頼を受ける

安倍晴明は59歳の時に、後の花山天皇から那智山の天狗を封じる儀式を行うよう命じられ、

儀式を行った。そのことがあって花山天皇から信頼されるようになり、その後も占いや儀式を行うよう命じられ、重用されたという記録が残っている。

花山天皇が退位した後も一条天皇や藤原道長から信頼され、高い官職を与えられた。

こうした安倍晴明の活躍によって安倍家は賀茂氏家と並ぶ二大陰陽家の一つとなった。

逸話 蘆屋道満との対決

安倍晴明は呪術や占いにおいて優れた才能を持ち、天皇や貴族からの信頼を受け、一代にして安倍家を二大陰陽家の一つにしたため、様々な逸話が残っている。

その中でも有名なのが蘆屋道満こと道摩法師との対決だろう。

道満は藤原顕光に重用された陰陽師だった。

広くなの知れ渡った二人の陰陽師は術を競い合って対決をしたという逸話が残っている。

この対決では晴明が勝利して道満は晴明の弟子になったとされている。

またその他の逸話では、道満は晴明に呪詛をかけていたが晴明に見破られてしまい、播磨に島流しにされたというものなどもある。

安倍晴明

有力な陰陽師として平安時代を生きた安倍晴明はその死後も様々な逸話や伝説が残っている。

現在では晴明神社で祀られており、魔除や厄除にご利益があるとされ様々な人が訪れている。


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