松永久秀〜平蜘蛛共に散った梟雄〜

戦国

松永久秀。

彼は日本三大梟雄(残忍で勇猛な人物という意味)の1人として知られ、日本最初の爆死者としても広く知られている。

また、大河ドラマ「麒麟が来る」にも登場し、世間的な知名度も上がってきている。

織田信長も手を焼き数々の謀略を行った松永久秀とはいったいどんな人物だったのか。


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謎の出自

久秀の出自においては不明となっており、

様々な説がある。

・山城国(京都)の商人説

・摂津五百住の土豪説

・阿波国出身説

などがある。

誕生年は推定で1508年(永正5年)とされている。

三好長慶に仕える

久秀は三好家に仕え、三好長慶のもとで右筆という秘書のような役割をはたし活躍する。

三好長慶が主君だった細川晴元に反旗を翻した時や13代将軍の足利義輝を近江に追放したときなどに、周りの武家や公家、寺社などとの仲介役として活躍した。

三好長慶の死後も最初は三好三人衆と協力して三好長慶の甥の三好義継を支えていた。

多聞山城

久秀は1562年に奈良に多聞山城という城を建てる。

この多聞山城が日本で初めての天守閣を持つ城だったといわれている

この城は宣教師のルイス・フロイスも絶賛しており、織田信長も影響を受けたとされている。

剣豪将軍・足利義輝の暗殺

1565年6月17日、室町幕府13代将軍足利義輝が三好三人衆と久秀の嫡男松永久通らの軍勢によって京都の二条御所で襲撃されて殺害されるという事件が起こった。

足利義輝

この事件は「永禄の変」と呼ばれている。

この事件は久秀の謀略とする説が広く知られているが、当時久秀は大和国におり直接は関与していなかったため謎となっている。

東大寺 焼き討ち

永禄の変以降久秀と三好三人衆は対立することになる。

まず、三好三人衆の軍が久秀方の城だった飯盛山城を突如襲う。

これによって対立は決定的になり、久秀も三人衆側の城を攻撃するなどの武力衝突がたびたび発生した。

そして戦場は東大寺となり、数度に及ぶ合戦を交えて両軍は争った。

この合戦の中で兵の放った火矢が大仏殿に燃え移り、東大寺の大仏殿は消失してしまった。

久秀の悪行の一つとして知られる東大寺の焼き討ちだが、三好三人衆との合戦中の不慮の事故という説が今では主流となっている。

信長の登場

三好三人衆との対立が深まり、久秀は三好家の中で孤立していた。

そんな時に現れたのがあの織田信長だ。

信長は足利義輝の弟、足利義昭を将軍にするために上洛していた。

久秀は信長にいち早く降伏し、自身の持っていた茶器「九十九髪茄子」を差し出し、服従の証とした。

義昭は兄の仇である久秀を快く思っていなかったが、信長がそれを説得した。

久秀も信長が朝倉義景討伐戦で浅井長政の裏切りによって撤退しなければならなかった時に退路を切り開き、信長の窮地を救った。

信長への裏切り

しかし、その後信長と義昭が対立し、信長包囲網が敷かれると久秀は信長を裏切り、武田信玄などと手を結ぶ。

だが、武田信玄が病で没し、自身も多聞山城を信長軍に包囲されると、多聞山城を明け渡し降伏する。

それによって信長から許された久秀だったが、またもや信長を裏切ることになる。

松永久秀、平蜘蛛と共に散る

信長が石山本願寺を攻め、久秀も参加していたが、勝手に戦線から離脱し、信長に反抗していた勢力の上杉謙信や毛利輝元と手を組む。

その後久秀は信貴山城に立てこもり、信長軍が包囲し「信貴山城の戦い」となる。

信長軍が優勢となり、久秀は窮地に立たされたが、信長は名茶器・古天明平蜘蛛を差し出せば許すと言う。

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2度も裏切っている人物を許すというのは異例のことだったが、それほどまでに平蜘蛛は名茶器であり久秀自身も信長が認める名将だったのだ。

だが、久秀はこれを拒否する。

自身の自慢の茶器がまたしても信長の取られるのが嫌だったのか、武将としての意地だったのかは分からないが、久秀は死を選ぶ。

そして久秀は平蜘蛛を叩き割り、自身も火薬を使って爆死した。

切腹したのちに家臣が爆死したという説もある。

松永久秀という武将

平蜘蛛に火薬を詰めて抱いたまま爆死したという話は後の脚色らしいが、久秀ならやりかねないというのがこの武将・松永久秀だ。

謀略を数々行い日本三大梟雄といわれ、謎も多く残る松永久秀は、茶器・平蜘蛛と共に散り、今も歴史ファンの心を掴む武将として愛されている。

逸話 クリスマス休戦

久秀の逸話は平蜘蛛での爆死以外にもある。

その中でも有名なのが「クリスマス休戦」だ。

キリスト教を受け入れ信教を許していた久秀は、三好三人衆との合戦に手を焼いていたいたため、

体勢を立て直すためにクリスマスに休戦を三好三人衆に申し出たという逸話が残っている。

自身の勢力を拡大するため、キリスト教を利用した久秀らしい面白い逸話だ。


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